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平成のジャンヌ・ダルク

ジャンヌ・ダルク よもやま話

ジャンヌ・ダルクは、フランス軍内や直接関わりのあった都市の住人には人気があったものの、フランス全土での知名度はさほど高くなかった。ナポレオン・ボナパルトは、フランス人として初めてジャンヌ・ダルクを評価し、フランスの救世主として大々的に紹介した。ただし、これはナポレオン自身の皇帝の地位の正当化のためであった。その後フランスのナショナリズムの高まりと共に、ジャンヌについての史料の編纂・研究が行われ、多くの文学・芸術作品のモチーフとなった。最近ではフランスの右翼政治家ジャン=マリー・ル・ペンなどフランス国民の愛国主義・国民統合のシンボルとして祭りあげる動きもある。
このようにフランス人としての国民意識形成に役割を果たしたジャンヌであったが、その出生地ロレーヌは東西フランク王国の分裂以来伝統的にドイツの政治的・文化的影響が強い土地である。ロレーヌがフランス王領に編入されたのは、1737年にロレーヌ公フランツ・シュテファン(フランツの祖先であるロレーヌ公シャルル2世はジャンヌを歴史の表舞台へと出す役割を担っている)が神聖ローマ帝位を得るのと引き換えに譲渡した時であった。近代になってジャンヌがナショナリズムの象徴として持ち上げられるようになる頃には、ロレーヌはアルザス地方とともにドイツとの間で帰属を巡って問題となった(アルザス=ロレーヌ)。ロレーヌが正式にフランスに帰属したのは第二次世界大戦後である。
一方、敗北したイングランド側では、ジャンヌに対して長く「魔女」としてのレッテルを貼り続けていた。王家の腐敗が描かれる一方で愛国的姿勢も見受けられるシェイクスピアの史劇『ヘンリー六世・第一部』(Henry VI, Part 1, 1592年)でのジャンヌの描き方はその典型例である。
しかし、近代以後にはシャルル7世との抗争にイングランド勢が勝利した暁には、ヘンリー6世らイングランド王族が豊かなフランス側を本拠とするため、結果的にはイングランドがフランス側に事実上併合される可能性があったため「もしイングランドが百年戦争に勝利してフランスを併合していたら、イングランド=フランスに絶対王政が成立して、今日の自由主義はイギリスに存在しなかったかも知れない。結果的にはジャンヌはイギリスをも救った」という見方も現れるようになったという。更には、ジョージ・バーナード・ショーの戯曲『聖女ジョーン』(ジョーンはジャンヌの英語名)で表されるように、プロテスタントの殉教者として評価する者まで出た。
ジャンヌ・ダルクは1909年4月18日にローマ教皇ピウス10世によって列福された。次いで1920年5月16日にベネディクトゥス15世によって列聖され、聖人となった。

歴史散策

    偽ジャンヌ説

    ジャンヌが処刑されてから5年後の1436年5月30日、ジャンヌを名乗る女性がロレーヌ地方のメスに現れた。ジャンヌの兄ピエールとジャンはこの女性をジャンヌと認めたため、近隣の領主たちの歓迎を受けることになった。同年秋、彼女は当時ルクセンブルク公領だったアルロンで、ロレーヌ地方の領主ロベール・デ・ザルモアーズと結婚した。そのため、彼女はジャンヌ・デ・ザルモアーズの名で後世に知られることになった。1439年8月、オルレアンにて町を救った功績として金銭を贈られた。1440年、パリの国王裁判所に出頭させられて説諭を受けたが、制裁を受けることもなく姿を消した。1457年、ジャンヌの名を騙ったことについての赦免状を求めるためにアンジューに現れたという記録が残されている。

    ジャンヌ私生児説

    ジャンヌは実は王家の私生児であったという説もある。この説によると、ジャンヌはシャルル6世の妃イザボー・ド・バヴィエールとシャルル6世の弟オルレアン公ルイとの間に生まれた、シャルル7世の異父妹とされる。イザボー王妃の息子フィリップは1407年11月10日に死去し、ルイ・オルレアンは同年11月23日に暗殺されているが、このフィリップこそがジャンヌのことであり、男の子が生まれたが死産した、ということにして密かにジャック・ダルクの元に預けられた、というのである。ジャンヌ私生児説を主張する者たちの中には、この女性こそ王家の私生児であった本物のジャンヌであり、処刑されたのはジャンヌの身代わりであるというジャンヌ生存説を唱える者もいる。だが、研究家たちにはこれらの説は否定的に見られている。
    なお、シャルル7世の「王太子の兆候(シーニュ)」とは、シャルル7世が王妃イザボーの不義の子であるという噂を否定するものであり、ジャンヌこそがイザボーの不義の子だということを示したものであるという説もあるが、この説も研究家たちには否定的に見られている。

    最新舞台情報

      てんかん説

      ジャンヌ・ダルクの神がかり的な言動については、発作を伴わない幻覚症状のみの側頭葉てんかんによるものだとする見解がある。癲癇(てんかん)によるエクスタシー体験はフョードル・ドストエフスキーのものが有名で、ジャンヌは過剰に道徳的・自律的だが、時として攻撃的になるという典型的な癲癇気質であったことがこの説を支持する要素となる。国際癲癇学会(International Epilepsy Congress、IEC)の1991年の論文では、当時の証言や裁判記録を踏まえ、左側頭葉に発作焦点を持つ音楽原性癲癇であると考察されている。
      癲癇と宗教・神秘的体験の関連性については、元々側頭葉の一部には「神の回路」が存在していて、その部位が過度に刺激された癲癇患者が神懸かりになるという事例が報告されている。
      また、癲癇の原因としては教会の鐘などが原因となる音楽原性、あるいは牛などから感染した結核が原因とみられ、これについては
      火刑で心臓・腸が焼け残ったのは結核性心膜炎や腸管結核によるもの
      無月経で痩せていたのは悪液質のため
      などが結核の傍証として挙げられる。

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